せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

レビュー(?)ってむずかしい

 ネットで映画や本やCDの評価を読むことがけっこうあります。手軽なとこでamazonのレビューとか。他にも投稿系サイトがたくさんあって、現物を見たり読んだりする前に頭でっかちになっていかんです。
 もっと自分の直感を信じようよ。人の意見を伺ってばかりだと、「スカイキャプテン」みたいな映画を見逃しちゃうよ。
 こういう、自由投稿型のレビューサイトを読んでると、レビューってやっぱむずかしいよな、と思います。特に批判型の投稿。八割が「つまんない」と言ってる中でマイナスの意見を述べるのはそれほどでもないけど、八割がたが好意的な意見を書いてる中で異議を唱えるのはむずかしい。「こんなの、つまんねえよ!」と書くだけなら簡単。でも、読んだ人に「そういう意見もありかもな」と感じてもらえるように、となると、至難の業です。
 これが日記というかblogというかだったら、個人のつぶやきだから好き嫌いで気の向くままに感想を書いていいと思うし、その生っぽさが味わいだけど、それを敢えてレビューサイトに書きに行くってことは、大げさに言うと反対意見を覆したいという意図が多少なりとあるってことですよね。今からそれを読むか買うかする人に、「なるほど、けしていいところばかりではないのだな」と気づいてもらいたいとか。なのに、単なる鬱憤のはけ口代わりみたいに取れる感情的な書き方をすると、そういう効果は全く見込めなくて、むしろ絶賛する意見の引き立て役になってしまう。冷静なRESがつこうものなら、自分のおばかさ加減にどん底までヘコみそう。
 なんて思ったのは、さる投稿サイトでまさに↑な例を見たからです。後で本人が「みんなが絶賛するのを少し冷却させたいと思って過激な書き方をしましたが、考えが浅かったです」というRESをつけてるのがまた痛かった。
 好意的な内容であっても、人に意図したとおりのことを十分に伝えるのは困難です。それが批判的となると、本当にハードルが高い。結局相手(特定の誰かではないにしても)に何も伝わらないんじゃ、やる意味ないし。少なくとも何度も推敲して、感情的なところや冷笑的なところは直して、できれば数日間をおいて読み直してみるとか手を尽くさないと。
 ↑の例では、RESをつけた好意派の人に冷静な人が多くてよかった。投稿主をいさめつつ、反論すべきところは落ち着いて指摘してて。だからこそ、本人が後から素直なRESをつけられたんだろうけど。
 翻ってみるに、私は感情派だよなあ、と。絶対にレビューサイトへの書き込みなんかできんわ。