せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

なんとはない不安

 昼休みに昨夜のご飯、という話をしてて。
 ある派遣の同僚が、母が今日の夕食は奮発していいお魚、と言うんだけど、魚が普通いくらぐらいするのかわからないから、値段を聞いてもいいものなのかどうかがわからない、と言う。話が発展して、日曜のスーパーのチラシでティッシュペーパーがいくらだと「安い!」と思うかとか、東京と福岡では卵1パックはどっちが安くなりがちかとか(仕事や家族の転勤で東京に住んだことがある人がそこそこいたんで)、物価の話題になったときも、「食材や消耗品の相場が全然わからないです…」とのこと。
 彼女、そろそろ30を超えた辺り。実家に住んでて、家事のほとんどは親御さん頼り。なんで、サイフの残高を気にしながら細々した買い物をするという体験もないらしくて。…他人事ながら、心配になる。店頭で売ってる物の値段がわからない、ということは、多分光熱費などは想像もつかないはずで、つまり親の庇護を離れたら自分はいくらあれば暮らしていけるのか? という経済感覚がまるっきりないということになるわけで。
 それって怖くないんだろうか? 毎月のかつかつっぷりを思い知るのも寒々としたものでしたが(大学のころから一人暮らしのわたくし)、それでも自分のデッドラインがわかっていれば、「最低でもこのくらいは稼がねば」「サイフの残高がこれじゃヤバいぞ」と自然にアラートが出てくるようになる。それなしで暮らすほうが現実の経済的厳しさを直視するより怖い。親というのはいかんせんいつかはなくすもので、そのときになって突然経済感覚を身につけるのはむずかしいと思うんだけど…。
 見たくない現実ではあるけど。ときとして、ほんとにつらいことだけど。
 というようなことは、一ヶ月程度職場を共にしたくらいでは言えないよなあ…。
 今日本に、親元で暮らす独身の、経済的に一人立ちしていない人ってどのくらいいるんだろう。そういう人たちが比較的経済に余裕のある親世代を失う時代は、日本はどうなるんだろう。同じ時代を生きる身としては、いろんな意味で心配だったり。