せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

「ザ・ムーン」、見ました。

 ジョージ秋山のマンガじゃありません(笑)。
 NASAが秘蔵してきたフィルム初公開分を含むアポロ計画ドキュメンタリー映画「ザ・ムーン」です。
 アポロに関する映像は、それはもういろんなものを見てきました。そして、見るたびに「なんてかっこいいんだろう!(主にロケット、周辺機械、打ち上げシーン含む)」「なんて荘厳なんだろう」「どうしてこんなに泣きたくなるんだろう」とバカの一つ覚えのように何度も何度も思ってきました。
 私はアポロ計画のリアルタイム体験者にはなれませんでした。でも、アポロに胸躍らせてきた先輩世代の興奮と熱狂と、なんと言うんだろう、生涯消えぬ憧れのような気持ちをシャワーのように浴びてきた気がします。おかげで小学生のとき、将来なりたいものという作文に「宇宙飛行士!」と書いて娘を女らしく育てたかった母を大きく落胆させ、現実の見えないドリーマーっぷりを心配されもしました。(同級生の女の子たちは年相応のリアリストで、先生とか看護婦(当時)とか手の届きそうな職業を書いていた)
 さして時間の経たないうちに、自分の才能のなさというか凡人ぶりを悟ったので、夢は早々に大きな夢のまま終わりましたが。
 けど、心の中の「遠くへ。もっと遠くへ。この足の立つ地表を離れた、遥か彼方を知りたい」という焦燥感みたいなものは、ずっとずっとくすぶり続けていたように思います。それが思春期の心境ってものかもしれませんが。
 その後、不況とか公害とか温暖化とか、いろんな厄介ごとが人間に降り掛かってきて、「科学」は失墜しました。今じゃあ私が子どものころにぴかぴかと光り輝いていたこの言葉は、場合によっては諸悪の根源みたいな扱われようです。なんだかすごく悲しい。
 科学は万能ではなく、「いいも悪いもリモコン次第」であり、様々な分野で人の手に余る問題を生み出し続けてます。それは私も知ってる。でも、その両面性を知った上で、あの世界にいる人たちは夢に届く力として使っていきたいと思ってるんじゃないかな。いや、もっと生臭い事情や野心でやってる人もいるだろうけどさ。
 遠くへ。もっと遠くへ。マクロの世界でも、ミクロの世界でも。可視の世界でも、不可視の世界でも。行ったことのない場所へ、見たことのない世界へ。そういう衝動が失われたら、人間って人間じゃなくなる気がするんですよ。いつかその座を別の何かに譲るまで、科学はそういう衝動の推進力であり続けるだろうと、恐ろしく文化系の脳しか持たん私は信じてるわけです。

 宇宙から見た地球は「美しい」という言葉が陳腐なくらいに美しい。距離が掴めない黒い広がりは、だからこそとんでもなく広くて遠い。そして、ぽかんと浮かぶ月の質感。
 これを見るたび、私はおろかだった子ども時代に一気に戻れる。説明とか条件とかこちゃこちゃした事情とか、そんなもんはいらんのです。

 と、ウルトラポエム(笑)なことを書かせるくらい、この映画の映像には力がありました。
 また、公園であの夜空を見たいな。まるで宇宙に放り出されたみたいに、月の遠さが感覚として感じ取れた夜空を。