せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

「イノセンス」、見ました

 わかりやすくてびっくりした。
 「押井作品としては」という冠がつきますが。「この人はこういう作風」とわかって見に行く観客はともかく、この内容で一般人を呼び込むのは無理と思われますよ…>鈴木さん。

 画面の密度が高いのは、プレ情報で知っていたから特に驚きはしません。「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」がびみょーにアレだったことを考えると完成度は著しく上がってますけども、たぶんこの映画の見どころはすげー緻密なCGとセルアニメの結合、ではないような気がしますし。
 もっと観念的な話になだれていくのかと心配していたら、ちゃんと事件ものの体裁は守って終わっていたのでほっとしました。オルゴール屋敷でズレた「現実」三回回しに入ったときは、「うわー、ここから物語放棄か?」と不安になりましたもん。その後もちゃんと事件の捜査は続き、少女型ロボットの暴走の理由と解決というオチまでたどり着いて、おおお、着地したよーと。
 しかし、アニメ見て人間とそれ以外を分かつものは何か?みたいなことを考えたがるのは、洋の東西を問わずヲくらいのものじゃないでしょうか。ゴースト以外の「自分」のない存在と人形との差異はどこにあるのだろう。そして、人間が差異の見出しにくい何者かを憑かれたように作りださんと熱望するのはなぜなんだろうと。
 機械化が進んじゃったバトーは、もう立場を人間よりも人形に軸足をシフトしたような物言いをするし。(相手は子どもなんだから、コピーゴーストの人格のことも考えろと言うのは酷ではないですか)
 彼が心を残す少佐がすでにゴーストのみの存在となり、その確かさと危うさの間の掴みきれない感じがコピーゴーストのはかなさと重なるせいかもしんないけど。

 バトーがバセットハウンドを手間をかけて飼い続けるのと、少佐が電脳存在でないバトーを必要とするのは同じかもしれないね、などと思いました。全くの勘違いかもしんないけど。
 しかし、この不器用さ淡さでは恋愛映画としても売れんしのう。絵作りも淡々としててハデさがないしのう。興行師泣かせの映画である。

 DVDに攻殻世界の基礎知識の解説編がついてるのはいい配慮だと思いました。「おかげで『攻殻機動隊』よりわかりやすいくらいだった。この世界での『ゴースト』という言葉の意味づけとか、前回よくわからんかったから」とは相方の弁。