せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

まぢ読めんのか…

 これは民放の報道番組のでっち上げだと思いたい。もしくは一部にそういう事実はあるけど針小棒大な報じ方をしてるんだと思いたい。
 何かと言えば、若者たちが映画の字幕を読めなくなっているのでどんどん表現がやさしく、というか、ぶっちゃけ漢字を極力減らす方向になってきてるという話。「奴ら」が読めないから「やつら」とか。やむを得ず難易度の高い(個人的には高いとは思えなかったけど…)漢字を使うときは、ルビをふるとか。
 やめてー。映画の字幕って確か文字数が限られてるはず。画面をつぶす量を少なくするためとお客さんが映像と文字の両方に目を配れる限界に配慮するために。それなのにひらがなにして文字数を増やしたら、ただでも省略されてる細かいニュアンスがますます落ちてしまう。ルビと言っても判読できる大きさにすれば、字幕が画面に占める割合が無駄に増えてしまう。()
 なんて言うのは年寄りのワガママで、物を売る以上お客様のために手取り足取り快適な商品を追求するのが商売の正しいあり方なのかなあ。セリフのニュアンスうんぬん言うなら、主に英語がヒアリングできるようになれと。

 でも、漢字は読めたほうがいいと思うのよ。(そう、結局あの特集が言いたかったのは「若者は映画の字幕が読めない」ってことじゃなく「漢字が読めない」ってことだったわけだが)
 微積分ができなくたって生活するのに困らない、という主張はそうかもね、だけど、漢字はやっぱり読めないとどこかで絶対割を食う。何かの契約書とか、漢字読めたって理解しづらいのに読めなかったらますます「まっ、いーか」とサインして後でえらいことになったりしないか?
 十年後、ケータイの絵文字ギャル文字が廃れてることはあっても、公官庁の書類や履歴書がギャル文字になってる可能性は限りなくゼロなんだから。