中学生というのは確かに無力だった。
新海誠監督の「秒速5センチメートル」第一話がYahoo!動画で無料配信されているのを見てきました。
以下、ネタバレます。
いやー、中坊男子ってあんなに繊細なものなの?(^_^;)私は田舎のがさつな中学生だったので、貴樹くんの感覚の細やかさや大人っぽさにありえねー感を感じましたが、でも都会の男の子って小学生の時点でマセてるというか精神年齢が高いものかもしれないとも思い。
年喰って書いた脚本だから、想像の子どもがいるんだとも決めつけられないものだし。書くときはきっと、自分の子どものころをイメージするだろうし。転勤族の子どもは、土地土地に慣れるために幼いながらも処世術を身につける時期も早そう。
そして、明里ちゃんが転校して一年経ち、自分も遠いところへ転校するとなってようやく会いに出かけるそのときの高揚感、ドキドキした気持ち、一抹の不安。それが春の雪という季節の気まぐれに翻弄されていく。設定が1990年代ということもあり、中学生が携帯電話など持つはずのない時代のもどかしさというか切迫感というか、やっぱ恋愛物に携帯電話が介在するようになって情緒ってもんが失われたんじゃないの? って気がしました(笑)。
降り積もっていく雪にも遅れていく電車にも、どうすることもできない自分。振りかかってくるささいな不運に、ただ耐えていることしかできない自分。心細さを噛みしめて、お腹が空いても缶ジュースでしのぐのが精いっぱいで。ああ、中学生ってこんなに無力だったよな、お金もないし、と久しぶりに思い出しましたよ。
だから、多少ロマンチック過多な中学生の恋愛もありにしときます。世間的にもこのくらいで止めておけ、中学生はって言っておきたい。幼さゆえの無力や閉塞感は、その年でなきゃ体験できない不自由は、あった方がいい。自由で好き放題やれたら、なんでもあっという間に消費してしまうんですから。
それにしても、なんちゅーか、どっちかっちゅーと男の人の方が恋愛に対してロマンチストなのかなあと改めて思った。純粋にロマンチスト。女性はどこかで地面に足がついてて、何かの瞬間にはっと現実に帰るとこがある。ここまで「思い」というものに純粋であれないような、そんな気がするです。
一般な女の人はこれを見てどう思うのかな。知りたいところです。
福岡では「シネテリエ天神」で公開が決まっているので、全三話はそこで見てくる予定。