せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

夢さぁん(涙)

 今日の「名作平積み大作戦」は「奇想天外!これが想像力だ」と称して日本からは「妖星伝」by半村良夢枕獏さんが、海外物は「百年の孤独」byガルシア・マルケス藤谷治さんがプレゼンするというなかなかハードなラインナップ。
 特に「妖星伝」! 夢さん、無理! あらすじ紹介を見てても、伝奇小説を読み慣れてない人にはついてこれない世界だなあ…と思うもの。時代物の仕立てなのに超能力者は出る宇宙人は出る宇宙船は出る、目からビーム出して宇宙船撃退する浪人! アニメやマンガを見慣れていたら大丈夫だろうか。でも、伝奇小説は蘊蓄も多いからなあ…。
 しかも、夢さんのプレゼンがおおらか過ぎというか野放し過ぎというか、褒め言葉が一般ピープルにはマイナス要素に聞こえかねない気がして「だいじょうぶかよ、このプレゼン」と心配になってきます。(何を心配してるのか? と自分でも不思議ですが、やっぱSF畑の出のものが受け入れられないのを見るのはつらく)だって、「『それは意志を持つ時間であった』、ね、すごい文章でしょ? わけがわかりませんよね。僕もわかりません。きっと半村さんもこの時点ではわかって書かれていたわけではないと思います。でも、これを書いたら後で大変なことになる、とわかっていても『使いたい!』と気がはやる言葉ってあるんです、作家には。そして、これはすごい、読んだだけでぶわーーっとイメージが広がる言葉です。『意志を持つ時間』ってなんだ、早く先を読ませろって気になるでしょう? そう思わせたら作者の勝ちなんです」(超訳)みたいなことをおっしゃってましたが、会場の人はかなりついていけてない感じでしたよ…。
 このプレゼンの中で、物語は終らぬをもって最良となす、「妖星伝」の最大の欠点は終ってしまったことだ、と夢さんは言われておりました。話を展開させているうちは、作者は風呂敷をどんどん広げていく。話を終らせる、というのは大きく広げた風呂敷をたたんでいく作業で、印象が小さくまとまっていってしまう。話を読み終えたとき、本の印象はコンパクトになっていて、「あー、おもしろかった」と心の棚にしまわれて、そのまま記憶が薄れていく。その点、終っていない物語は先への楽しみがいつまでも残り、記憶にとどまり続ける。
 某作品の話を聞いてるみたいです(笑)。
 だから「妖星伝」の正しい読み方は、全巻揃え、わくわく読み進め、単行本で最終巻にあたる部分にさしかかったら読むのを止めて本棚にしまう。そして、後三日で死ぬなーと思ったころに本棚から取り出して、おもむろに結末を読む、というものである、と夢さんは言うのであった。
 …無理。
 不安は的中し、プレゼンされた作品を読みたいと思った人は21人。私が見たかぎりでは最も低い数値でした…。笑ってるばやいじゃーないです(涙)>夢さん。

 でも、プレゼン自体はとてもおもしろかったんですけど。
 藤谷さんの「百年の孤独」のプレゼンもすごくおもしろかったんですけど。
 そういう意味ではたいへん充実した回だったんですが、「妖星伝」を平積みするという書店は一件もありませんでした。
 前代未聞です!
 せめて私なりとも「妖星伝」を読まなければ。<えらそーなことを言って未読。