せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

人生初の(もしかしたら最後の)

 さる筋から「チケット、お安くなりますよ」と声をかけられ、いったい何がどうしたのか、はずみでタカラヅカなんか見に行ってしまいました
 いやー、我ながらあり得ん。私とは生涯相容れない世界だと思っていたのに。気の迷いにもほどがある。
 知らない世界を覗くのが好きな友人にメールしたところ、「見たことないから見たいです!!」と力強いお返事をいただき、二人して水と油の世界に突入。仕事が終る時間の関係で開演して15分ばかり経ってから会場入りしたので、最初は話のいきさつがイマイチわからない。もっとも、こうなることはわかっていたから、事前に演目のあらすじは押さえておいた。「ダル・レークの恋」という今回の演目は初演が1959年だそう。ええーっ、私ですら生まれる前じゃん!! インドの貴族界とかフランスで無頼漢を気取る若き日のヒーローとか、昔の乙女がイメージしやすい西洋とオリエンタルの異国が舞台なのはそのせい? 1ドルが360円だった時代、こういう設定は魅力的だったんだろうなあと勝手に想像。
 遅れてきた私どもの前で、騎兵大尉ラッチマンとインド貴族の姫君カマラが舞踏会で楽しげに踊り、ばあちゃんの言いつけでカマラが心ならずもラッチマンを振り、という場面が繰り広げられます。会場が狭いので、背景の切り替えが大わらわ。豪華とは言いがたいセットですが、手際よくシーンが変わっていくのはさすがと言いますか。
 しかし。タカラヅカ初体験のわたくし、びっくりしたのは正体がばれた(?)ラッチマンが自分と姫との関係を口外しない代わりに、姫との一夜を所望するというくだりです。ええっ、ヅカの話でもそんなもにゃもにゃなシーンがありなの?(ほんと無知なんで、すみません)いや、なんか、清廉潔白でプラトニック系なのかと思っていたもので…。
 しかもその後、舞台のど真ん中に丸いベッドが出現! ええっ、そんな直截なものが出てきていいの? 暗転した後翌朝じゃなくていいの? ええーっと友人と顔を見合わせる私の前で、ラッチマンさんとカマラさんが愛のダンスをかんのー的に踊られます。ちゅーするとかベッドに二人して倒れ込むとか、なかなかヤバげな絵があります。いいのかよ、タカラヅカ。制服の観客もいるぞ。それに、せっかくの(?)えろいシーンのまっただ中で、姫のサリーをくるくるくるっと脱がせて、姫もくるくるくるっと回って見せるという振り付けをするのはどーかと思うぞ。時代劇で悪代官が町娘の着物の帯をくるくるくるっとやるみたいじゃないか。
 その後も二人の間にはいろいろあって、うまくいきそうな気配もあって、ああやっぱハッピーエンドで終るのかー。と思っていたら。
 終らない。身分の違いの問題も誤解も解けたはずなのに、別れを告げて旅立っていくラッチマン。泣き崩れるお姫様。そして、パリの街角をラッチマンの姿を求めて訪ね歩くお姫様。二人はすれ違ったまま、突然レビューシーンに突入してしまいました。あ。あの。この話の結末は「もしかしたら、二人はまた巡り合うかもしれないね」というニュアンスが漂った悲恋と解釈していいのでしょうか? 気持ちの落とし所が見つからぬまま、トップの方々がゴージャスな衣装で歌い踊る。これでいいのか、これで。心の中に疑問符が飛び交ったまま、華やかに舞台の幕が降りたのでした。
 なんて書くと、全然おもしろくなかったような、トンデモなお芝居だったような印象になっちゃうでしょうが、我ながら不思議なことにけっこうおもしろかったです。どーしたってラブロマンスで私の得意範疇じゃないから、お話に入れ込むのは端から無理。でも、歌と踊りと華やかな衣装、縁の下で背景を変え早業の衣装替えを手伝い、と奮闘する裏方の仕事、などなどの「お代をいただいたからには三時間(途中休憩を含め、三時間あった。そりゃ、六時に開演しないと遠方の人が困るだろう)楽しませまっせ!」という心意気みたいなもんに巻き込まれると、それはそれですげーなーと楽しめてしまうのです。さすが歴史ある乙女の娯楽。ここまでもてなしてもらったら、そりゃーハマる人も出るってものでしょう。
 なんて言えるのも、私が年取ったからかもなあ。あと10才若かったら、やっぱり「どぅわぁあー。甘甘ー」と口から砂糖流してたかもです。
 いずれにせよ、なかなかおもしろい体験でした。ハマりはしなかったけど。

 それにしても、「実は今週タカラヅカを見に行くことになってね」と話した人の大半が「どーする? ハマったら」と言うのはどーしてなんでしょうね? ハマったら困るものなんでしょうか? それとも、私がハマったらおもしれーという意味なんでしょうか。