せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

「婚活」という言葉

 今の職場の派遣の同僚に30代の女性が二人。どちらも未婚で結婚はしたい派です。とゆーか、今までそこそこいろんな職場に行きましたが、こんなにはっきり「結婚」をしたいものと思ってる女性ばっかなところは初めて。既婚の人もわりと結婚には肯定的だし。やはり職場には採用者のフィルターが反映されるもので、そこにいるタイプが絞られるものなのかも。と言ってる私は、そういう意味では規格外になってしまうのだが。
 特別美人でもない代わりに特別見栄えがよくないわけでもない彼女たち。性格も普通だと思うけど、つきあうとなると相性があるから、これはなんとも言いようがない。でも、ざっくりの判断で言えばごく普通で、たぶん私なんかより遥かに結婚に向いてそうだから、「結婚したいのにできない」理由がよくわからない。いや、理由ははっきりと「相手が見つからない」に尽きるわけで。やはり年も30を過ぎると友人知人や職場の縁も固定的になってくるのか、相当積極的に探さなければ目新しい相手とは出会えない。出会っても既婚の場合もあるし。その「出会う」ための知人の知人の宴会その他のちょっとした集まり出馬率は「そこまでしないと駄目なの?」と端で見ている方が心配になってしまうほど。
 だって、飲み会も月に二回三回を重ねたら一万二万はかかってくるわけで、それは派遣の給料からするとかなりの高額出費になるわけです。なのに宴会の参加者の傾向を聞くとたまには「それはあなたには合わなさげなセレクトなのでは?」と聞きたくなるような場合もあったりして、それでも「出会いはなるべく多い方がいいから」と出かけていく彼女たちの涙ぐましさは、なんでそこまで? とおばさんに思わせるものがあります。
 端から聞いてて思うのは、三高とか言ってた時代はまだよかったんじゃないかってこと。昔はわかりやすいハードルが二、三個あって、それが跳べるか跳べないかはわりと早い時期にわかった。今は低めのハードルをいくつも持ってる人が多いです。それはつきあってみないと跳べるか跳べないかがわかりづらいものだったりするから、全ハードルを判断するにはけっこう時間もかかる。一度で跳べたかどうかがわからなかったりもする。その面倒さを自分でもうっすらと気づいているから、おつきあいにまでもなかなか進まないんじゃないかなあ。
 あと、まあ、ほんとにハードルが多いです。高望みでないけどチェックが細かい。時折「それを要求するあなたは、相手のハードルをいくつ跳べるの?」と聞いてみたくなったりします。つき合いっちゅーのはお互いさまじゃて。

 もっとも、する気はあるのになかなか結婚できないというのは全日本的に進行中で、それも当事者の責任というより社会が変わったからだそうで。
 というのを、同僚の「友だちも婚活始めて」という言葉で改めて知りました。就職するのに様々な努力をしなくてはならないのと同じように、結婚もしたいならするためのスキルを身につけなければならない。その努力を就職活動 = 「就活」にならって「婚活」と呼ぶそうな。もはや緩やかに知り合う関係から相手を捜すなんて言ってるのはのんき者なんですね。ちゅーか、そこまでしないと駄目なら、別に無理して結婚しなくても。いや、すでにそう思ってる人たちもたくさんいて、だから未婚率が上昇するんだろうなあ。
 「結婚なんて」組のみなさんにもちょっと言いたいことがなくもないけど。金や時間が不自由になるとか他人に合わせるのは窮屈とか、スイーツ(笑)より二次の方がすてき(爆)とか結婚のネガティブイメージが流布される今日この頃ですが、他人がしみじみ関係を作り上げていく暮らしというのもなかなか味があるものですよ。血縁者以外の人生の戦友がいるのは心強くもあるし。
 結婚してもしなくてもそれぞれにいいこと悪いことがあるわけで、どっちがどうってもんじゃないですが、したい方の困難がどんどん高まっていくのはどうにもならんことなんでしょうか。