せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

才能と覚悟

 「亡国のイージス」をやっとこ読了。上巻はたらたら読めたけど、下巻は勢いついて。すぐ週末でよかったよ。
 作品に関する感想は、巷で言われてるのと大差ないので書かないのだ。おもしろくなかったからでは、絶対にないとだけ言明しておきます。この時期にこの作品を読むと、別の感慨もあったりするけど、何よりエンターティメント作だと思うから。そっちに流れたことを言うのもなんだし。
 で、代わりに読みながら作品そのものとは全然関係ないことを考えてしまったので、そっちのほうの話。
 誰もがそう思うかはわからないけど、福井さんはきっと同じもんをおもしろがって過ごした同世代だなあと読みながらすぐわかったのです。何がどう、とは言えないけど、男の子向きのマンガやらアニメやら、私が「好きー」と思ったあれやこれを、この作家は「おもしれー」と熱狂して過ごした過去がある、それが行間からぐわぐわ伝わってきたのです、なぜか。
 作品の肌触りというか、においに同族のものを嗅ぎ取ってしまう。(勝手に思い込んですいません)
 少なくとも、この人はトミノが好き。「ターンAガンダム」のノヴェライゼイーションだって、絶対好きでやっている。アニメとは違う展開になっていくけど、尖がってたころの富野さんならこういう話にしたかもなあと思わされたし。(ご本人は高村薫氏の影響も大きいとおっしゃってるらしい。それもなるほど)
 この、第一ヲタ世代って(もう決め付けたよ)、その後アマ活動世界が広がったこともあって、セミプロやアマのままにとどまった人も多いし、それでも才能のある人ならかなりの数の受け手をつかめました。むしろ、商業的な事情で自由な作品作りができないのはいやだと、あえてアマの道を選んだ人もいるかもしんない。(ガイナックスみたいな強引なプロ(一応)の成り方もあったかもしらんが、あれは例外だよなあ)
 でも、福井さんは違った。ちゃんと腕を磨いて商業作家の道を選び、成功してる。それは才能のなせる技でもあるし、覚悟がなしたことのようにも思う。
 アマのままでも受け手が期待できる構造になっちゃってから、無理して「わからない人」がいる世界に行かなくてよくなった。商品として成立するかをマーケットに値踏みされなくてよくなった。そういう状況下で生み出された作品は、それはそれでおもしろいんだけど、符丁の合う者同士で「あれですよ」「あれですか」と言い合ってるような、ひりひりするような緊迫感が少ないような気がする。少なくとも私が同人誌を買うときの判断ハードルは、書店で本を買うときより相当低いのです。同人誌は、作品そのものだけじゃなくて対象にしてるマンガやアニメや小説を好きだと思う同志感、気持ちのお祭りに参加する参加費を含めて買ってる感じ。それを思うと、商業ベースで売られている本を書く or 描くというのは、やはりたいへんだし一目置かれる行為だなあ、と。
 誰もが才能に恵まれるわけじゃなく、覚悟を強いられるわけでもなく、だから同人活動はそれはそれでいいのです。ただ、誰もがそこにいてしまうのは、もったいない気がしてくるのです。
 明らかに同族の匂いがする福井さんの作品が、符丁を持たない人を含めた受け手に向かって書かれ、作品単体対して読者に身銭を切らせるほどの評価をされているというのが「すごい」と思ったし、なんでだかうれしかった。ヲターな趣味嗜好は内向きスパイラルに向かうだけじゃないと心強く思ったせいかなあ。