時代は移る
通勤時間にだらだら読んでいた「ワームウッドの幻獣」をやっと読了。こんなにかかる本じゃないんですけども。
知らない方もいると思うので。高千穂遥(本文)&安彦良和(イラスト)コンビによる、ある世代には大いに知られるスペオペシリーズ、クラッシャー・ジョウの最新刊です。って、13年ぶりか。ってーか、一巻目が出てから20年くらい経ちますね。あのころ、私は若かった。当時はばりばりのクラ・ジョウファンでした。<過去形なのか。冷たいな。
なにしろ潔く娯楽色のみの物語なんで、ネタの割り様もなく、興味のある方は読んでねーくらいしか本編に関しては言うことはないです。いろんな意味で当時のまんまのテイスト・内容です。
これを読んでて思ったのは、作品そのものに対する評価とは違うことで。
クラ・ジョウって、言わば今のライトノベルの走りみたいなもんで、発表当時は筋立てよりもキャラで引っ張られてる作品だという認識だったと思うんです。科学をよりどころにした考察的な味わいよりも活劇を楽しむ作風で、だから老練なSFの読み手には難色を示す人も結構いたような。でも、若い読者からは好評で迎えられて、高千穂さんもこの後さらにキャラクターが作品を引っ張る「ダーティー・ペア」を書いて人気を博した。という経緯があるから、高千穂さん=キャラ小説の人という刷り込みがあったんだけど。
今回の新作を読んで「えっ?」と思ったのは、キャラの描写がめっちゃくちゃ薄いなーってことでした。今風の言い方をするなら、キャラが立ってない。今回、ジョウのライバルとして美女三姉妹のクラッシャーが出てくるんだけど、この三人の細かなイメージが100p過ぎても固まらないんですわ。性格はもちろん、髪や目の色、胸の大きさを含めた(笑)体格、場合によっては好きな食べ物や趣味など、この辺まで読み進めば余計なくらいに書かれてても不思議じゃないのに。容姿抜群の女の子&人が三人も出てきて、「この子はこう」とはっきりした印象が残ってないなんて、今どきのライトノベルじゃありえないでしょう。
それどころか、主役のジョウたちのキャラも、最近のライトノベルの傾向からすれば描写が少ない少ない。人によっては、「それでこの人、どういう人?」と聞くかもしれない。
こうなっちゃうのは、たぶん、徹底的に三人称の形式で書かれてるせいじゃないかと。最近の三人称は地の文にキャラクタの心情が連綿と書かれてたりして、変則一人称みたいになってるんだけど、クラ・ジョウはセリフにも地の文にも内面を語るものがほとんどない。人物も情景も見たそのまま以上の情報を入れない書き方をしてます。あっさり・さばさばな味わい。こういう文体って、最近減ったなあと思います。
おもしろい、おもしろくないとはまったく別の話です。ただ、この十年ちょいの間に、ライトノベルの傾向ってこんなふうに変わったんだなあと思ったという。
そういう点では、この新作で新しい読者を開拓できたのか、興味があります。