せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

どっちも大事

 時事問題に踏み込むには知識の薄い私なので、今回のイラクの人質絡みに関しては特に言うことなく終わりにしようと思っていたのだけど。
 拘束されていた人たちが全員開放されてめでたいことだと思う。衰弱している人もおられるけど、五体満足で帰ってこられて本当によかった。だけど、開放された人たちが口々に「ここに残りたい」「やるべきことをやれてない」と言われるのは、尋常でない体験の後で心が高ぶってるせいもあるだろうけど「ちょっとなあ」と気持ちが冷えてしまう。
 自分たちが拘束されている間のことは、本人たちには知りようがない。日本や世界でどんな風に報道されてるか、わかるわけはない。それでも、もし自分たちの今の状況の何分の一か、誰かに連れ去られたこと、それがイラクで起きたこと、をご家族や知人が知ったらどんな気持ちになるか、想像がつかないものでしょうか。政情不安の国で行方知れずになることの意味がわからない人たちではないでしょう。
 それを思えば、少なくともこの世の誰よりも心配をかけたであろう肉親や知人に、直接会って元気な姿を見せて「心配かけてすまん」と伝えることがどれほど大事か、思いを致してほしい。戦場に自ら出て行くような自分だから、周囲は覚悟済みだなんて独り善がりに納得しないでほしい。
 身内ばかり見て、身内の利権ばかり考えるのは醜い。だけど、よほどの不仲だとか、昔から絶縁同然だとかでない限り、親兄弟は世界を敵に回してもあなたのことを思うはずなんだから。そういう思いに応えることは、恥ずかしいことでもみっともないことでもないでしょう。
 惨禍の元で過酷な生活に耐える人々の力になりたいと願う人なら、戦争の不幸をより多くの人に伝えたいと望む人なら、自分の足元もちゃんと見てほしいです。そうでなければ、あなたたちがその後どんなに熱い気持ちを訴えても、今ひとつ響いてこないように思います。

 なんて思う私はおせっかいというか、余計なお世話なんでしょうなあ。
 むずかしい問題ですなあ。

 とか言ってたら、イラクで人質になっていた人たちがどんどん口をつぐむようになってしまいました。こういう小姑な上げ足取りをする人がいるからでしょうね…。やっと開放されたのに、もしかしたらあの人たちはこれから延々と続く世間という名の牢獄に入るのかも。私もその牢獄の檻の一部になっているのかも。