せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

今週の流刑地

 「…ここはどこだ。…冬香は」「起きてしまわれたのですね。ずっと寝ていれば楽だったのに」「冬香。なぜ私は縛られているんだ」「それは私がお答えしよう」「誰だ、お前は」「あなたに間男されていた男ですよ」「あなた、それは言わないで」「いいんだよ、冬香。おかげでまたとない良質な材料が手に入ったんだからね」「どういうことだ。…冬香、君は私をだましていたのか」「私の妻をなじる資格があなたにあるのですか?我々『富山置き薬協会』は特に契約したお客様にのみバイアグラに勝る精力薬を提供しているのだが、そのためにはあなたのような中年を過ぎてなお肉欲の強い男性の精が必要なのです。妻は材料となる精の持ち主を捜すために、身を犠牲にしてくれました」「そんな。私、あなたと皆さんのお役に立てれば」「ありがとう、冬香。この男からは大量の精が搾り取れるだろう。これでしばらく、君につらい思いをさせなくて済む」「あなた」。きくぢの目の前でひしと抱き合う二人。
 山田風太郎風味のバイオ伝奇ロマン「愛の流刑地」完。
 …すいません。本編は全然こういう展開じゃありません<当然です。
 でも、最早こうでもして遊ばないと、本編全然おもしろくないんですよぅ。しまらないっていうか、盛り上がらないっていうか。説得力がないのはすでに言うまでもないんですが。

 先週の終盤になってようやくどーでもいーえろパートが終了したんですが、えろ抜けるとさらに盛り下がるというか、どうでもいい感がアップします。次回逢う約束を取り付けた以外は、それぞれの内面を伝え合うでもなく事務的な会話を交わしただけで別れちゃうきくぢと冬香。でも、きくぢは前回と違っていろいろ話ができたと大満足で東京に引き上げ。何を?あなたはあの会話で冬香の何を知り得たというのか?次のえっちの約束ができたからそれで十分なんだなって感じ。小説家とそのファンって設定なんだから、ブンガク談義とまでは行かなくてもその手の話題くらい振れるだろうによ。少なくとも、女はいろいろ知りたがるのが普通でないのか?話を振らないってことは、本心ではきくぢに興味ないとしか思えないんだよなあ。
 今回は「奮発」してのぞみで帰るきくぢの、新幹線の中での物思いというか、考えてる内容がこれまたびっくりするほど散文的。京都に行ってもホテルにこもって冬香とアレしただけだけど、別に行きたいとこがある訳じゃないしいっかー、とか、冬香が東京に出てくるときはどこに泊めよっかなー、あ、自分チって手もアリかー、プライベートも知って欲しいし、何よりホテルはお金かかるし、とか。冬香と付き合うのは何かと物入りでつらいなー、京都行くのに二回で15万もかかっちったよ、でもせっかくの恋のチャンスだし、なけなしの小金を突っ込んでもいっかな、オレとか。
 みみっちさもさることながら、脳活動レベルがヤンキーの兄ちゃんとさして変わらないんとちゃう?こういう人が大学の講師で金稼いでるなんて、いくら最近の大学生バカ論があるとはいえ、それを上回るバカにしすぎって気が。何もかもを失ってもいい恋、って、本当はロマンチックな響きなんでしょうが、きくぢぐらい失うものがないと、何の感慨もわきません。勝手に行き倒れれば?ってくらいのもんで。
 そんなきくぢの年の瀬は味気なさと物寂しさだけが漂ってます。離婚同然の自活した妻は友達と沖縄旅行。訪ねてきた一人息子とは何を語り合うわけでもなく。由紀のときも思ったけど、この家族がいるという設定には何の意味があるんだろう。それで事態がややこしくなるわけじゃなし、いなくても全然筋立てに差し障りはないんじゃあ。由紀が「今まで若い子と付き合いがなかったわけじゃない」という記号であったように、「家族を持つ気概と甲斐性がなかったわけじゃない」というきくぢの価値の底上げ用でしょうか。
 だったら、冬香と逢わない生活の充実感を書いた方がよほど魅力的な人物に見せる効果があると思うんですが。まだ55だってのに、碁を打つ友達しかいないのかよ。こんな中身のない人だから仕方ないけど、同性の友達が少なそうですよね>きくぢ。お金が縁の水商売のお姉ちゃん以外にたいした交友相手もない男なんて、つきあってもつまらなそう度100%ですよ。本気で文壇に返り咲きたいなら、神頼みしたりフヌケた生活してないで勉強しろ、勉強。仕込みや取材をしろ。舐めとんのか、読者を。
 あ。しまった、きくぢを突き抜けて誰かさんに憤ってしまいました。
 何の苦労もせず、口を開けて棚からぼた餅を待ってるきくぢさんの元に、ワタナベ神は中がからっぽのお人形・冬香というぼた餅をあっさり投下なさいました。子ども三人もいる主婦が正月二日に帰省先から泊まりがけで出てくる家庭環境が私には想像もつきません。全く持って、どういう秘策が。それより驚くのは冬香のメールです。今時の30代後半の女性が「お目出とう」なんて表現使うかよ?こんなババくさい変換、出されても採用を却下です。それともきくぢに気を使って敢えておやぢ向きの表現を?
 ともかく。繁忙期価格の飛行機・それ以前にチケット取りにくそうな便で里の富山から東京にやってくる冬香。家計を一手に握っていれば費用の工面もできなくはないでしょうが、ダンナがよっぽどの高給取りでなければ子どもが三人もいる家ではそれなりの出費です。家計を削ってまで肉欲しかない甲斐性なしに逢ううれしさを「今夜は枕にあなたの名前を書いて寝ます」なんてメールで伝える冬香って、ほんっとお人好し。でなかったら、ばか。そんなに好きならケータイで写真撮って、それ枕の下に置けば?(私だったらきくぢの写真なんて死んでもいやだが)たくさん写真撮って混ぜとけば、一枚くらいおやぢの写真が紛れてたって、ダンナにも気づかれないよ。ああ、渡辺せんせはケータイでメールまでは思いついたけど、写真には行き着けなかったのか。そうか。
 それにしても、京都で別れたのが土曜の回。で、火曜日にはもう再会してるんだから、ありがたみも葛藤もない展開です。このままたいした山も谷もヒネリもなく、ずっと「逢う」→「えっち」→「別れる」→「逢う」→「えっち」→「別れる」の繰り返しなんでしょうか。ナベジュン先生は山なしオチなし意味なしを実践されるつもりですか?
 東京慣れしていない冬香を迎えに、一応空港までは来るきくぢ。やっぱりホテルは取らずにご自宅へ冬香をお持ち帰りですが、「奮発」してタクシー、って。エエとしのおっちゃんがわざわざことわり入れるなよ、というツッコミはもう飽き飽きですね。開いてる店の少ない正月にホテルのレストランを予約することを思いついてるのは、きくぢ的にはよくデキですが、一人二万円のディナーとかシャンパンとかボトルワインとか、「奮発」を連呼するから評価が下がってしまいます。別にぱーっと景気よく金使え、と言ってる訳じゃあありません。きれいごとと取られるかもしれませんが、よく恋愛小説や映画でヒロインが言うでしょ。「あなたは贅沢させてくれたけど、私が欲しかったのはお金じゃない」。そこんとこですよ、きくぢ。かつて恋愛小説でならしたあんたなんだから、女がお金じゃない「何」を求めてるのか、わからんわけじゃないだろうな?
 定番のツッコミは置いといて。今週はぜひ触れておきたいきくぢ語録があります。
 「今夜は、いっぱいいじめてやる」(部屋で二人きりになったとたんに言う)も、まだ三回目の逢瀬、しかも人目を憚りはるばるやって来たばかりの女に言うセリフかよ?と感性を疑いますが。
 今でこそ落ち目とはいえ、かつてはブイブイ言わせていたベストセラー作家が、女を抱きしめて「遠いところを、よくきてくれた、ありがとう、大好き、愛してる」とは。舞城王太郎ですか?(読んだことないけど)
 きくぢ出血大サービスのホテルディナーでシャンパンを開けて「ハッピー・ニューイヤー…そして僕等の愛のために…」。げふっ。「ハッピーバースデー!デビルマン」を思い出しちゃったよ。(見てないけど)
 あまりに貧困な語彙、幼稚すぎる表現に、こいつホントに作家?とあごガクーン。やっぱきくぢの脳レベル=ヤンキーの兄ちゃんとしか思えません。それとも、ティーンのように恋に不慣れなボクの表現?最後の恋の予感に思わず青春に逆戻りしてるボクなの?
 珍しく年相応のシチュエーションでディナーを楽しむきくぢと冬香。でも、会話は相変わらず無味乾燥。夜景の説明とかやたら酒を勧めるきくぢとか、そういうのはどうでもええから、「大人の恋愛小説」ならお互いの個人的事情を聞きたいけど聞けない心理描写をもう少し掘り下げるべきでは。そこがないから、きくぢも冬香もぺらーんと中身のない存在でしかないわけで。きくぢがみみっちくて器の小さいえろ妄想おやぢから脱却できない理由をよーく考えてくれ。
 それにしても、いくら二時間会話の持たない男だからって、きくぢ冬香に酒勧め過ぎ。乱れたところを脱がすえろいお楽しみ以前に、酔いつぶしてしまったら下半身ティーンのきくぢは泣いても泣ききれないのでは。それに、もし冬香が酒乱だったらどうするのか、いや、愚痴り魔で朝まで延々愚痴を聞かされるかもしれない。<そんな展開、渡辺翁が許すわけありません。
 今週は「元旦の夜」「一見、見ただけで」とか、いつにも増して推敲してない観が漂う表現が多かったんですが、冬香の「ずっと、横にいさせてください」ってのもヘンな気がする。「側」じゃないのか。じゃあ、ディナーの席も横がいいの?アレのときの体位も横重視の。…ああ、この話につきあってると、どんどん品性下劣になっていく。

 何度も何度も何度も書いてますが、男性の身勝手な妄想小説の存在を私はこれっぽっちも非難する気はありません。しょぼくてビンボな中年男でも好みの女といい思いをしたい、そういう願望があるのはかまわんのです。身体のたるんだ冴えないおばさんだって、ぴちぴち肌の青年にお姫様扱いされたいんですから。それを承知で延々「愛ルケ」をあげつらってるのは、自分のはそーゆーのとは格が違うぜぇ?って勘違いしてる渡辺センセがあまりにもイタタだからなわけで。
 それにしても、疲れてきたなーと思う今日この頃。毎回おんなじツッコミばっかりしてる気がするし。自分の狭量さが際だっていやーんになってもきたし、「今週の流刑地」もそろそろ企画終了にしようかな、と。
 「にっけい」さんとか「白目がち」さんとかのまとめblogだけで筋を掴んでいる皆さん、一度原文を一週間ほど読んでみることをお勧めします。ツッコミなしで読むのは相当な苦痛ですよ。毎日ツッコミネタを考えるのは、ほとんど修行の世界の突入しつつあります。
 この連載、いったいいつまで続くの?