せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

早すぎる訃報

 日曜のお昼前。ただでもボンヤリな私が最高にぼんやりしている時間帯にアレ友達のピ課長さんから電話がかかってきた。
 「今、大丈夫?」「うん、大丈夫」「急な話だけど、佐々木さんが亡くなったらしいんだ」。
 一発でボンヤリが吹っ飛んだ。反射的に口をついて出た言葉は「うそ!」。だけど、情報の出元を聞くと嘘が出てくるとは思えない。相方をたたき起こし、なんとか情報収集をしようとネットやらメールやらをチェックしまくる。

 佐々木さんは私が熊本SFクラブにいたころにお世話になった方だ。NHKに勤務されていて、知る人ぞ知る「この町だいすき」の制作にも関わられた。奥さんは友達の友達で、東京に勤めていたころはみんなで遊んだりした。まだ学校に通うお子さんがいるのだ。亡くなられるような年ではない。
 間接情報の収集には限度があった。きっと混乱しているだろうご自宅に電話をするのはものすごく、ものすごくためらわれたが、憶測で動ける話でもなく、勇気をふりしぼって電話をかけた。お子さんを介して電話に出たのは、久しぶりだけど間違いなく奥さんのHちゃんの声だった。本当のことだった。とても細かいいきさつなんか聞けない。最低限、お通夜やお葬式の情報だけ尋ねて、こんなときにごめんね、と言って電話を切った。私ですら信じられないのだから、ご家族には現実か夢なのか、全く実感がわかない状態だろうと思う。
 交友関係の広かった佐々木さんなので、手分けして友人知古に連絡をする。ずっと年賀状だけのおつき合いになってる友達にも電話をかけた。想像もつかない出来事すぎて、みんな、最初は誰の話かさっぱりわからなかったようだった。面倒見のいい方だっただけに、電話口で泣き出される人もいた。

 一通りの連絡が済むとまたぼんやりした。ずっと仕事が忙しいのだと聞いていた。その中で、暇を見つけてはSFコンベンションへも参加されていた。(SFファンとしての佐々木さんのご活躍は「神北情報局」さんに記載がある)状況が許せばご家族で。まだお子さんが小さいころにしか家を訪ねたことはないけれど、家族仲、夫婦仲も本当によかった。(なんたって、アレ同士なのだ)公私ともに充実した人生、と言えばそうかもしれない。だけど、それは振り返る年になってから思うことだ。早すぎる。ありふれた言葉で自分でも情けない。でも、あまりにも早すぎる。
 ああ、もう、なんかうまく書けないけど、なんでこんなことになっちゃったんだ、としか言いようがない。
 ずっとたいして連絡を取らなかったのは、いつでも会えるって思ってたからだ。関東方面に遊びに行ったとき、ちょっと時間を作って、連絡を取って、そうしたら昔みたいにくだらない話をみんなでいくらでもできるって簡単に思ってた。アホだ、アホだったんだ。

 世の中のお父さんお母さん、いえ、他のどんな人でも。健康には気をつけてください。丈夫だからなんて思い込まないでください。自分はまだまだなんて油断しないでください。お勤めをしている人はままならないことが多いかもしれないけど、どうかどうか、自分の身体は自分で守る、そこのとこだけは譲らないでください。
 明日の朝はいつものように昼前に目が覚めるだろう、そうしたらちょっとだるいけどカミさんの買い物にでもつきあうか、そんなことを考えた、その朝が来ないなんてことが起きないように。