せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

えろのポイント

 すいませんね、連日「愛ルケ」絡みのエントリーで。興味のない方はスルーしてくださいまし。

 ↓で愛ルケの性描写なんかたいしたことねーと書きましたが、そんなことを言うと「じゃあキミはどれほどすげー性体験があるのか?」「どんなすげーポルノやAVを見てきたのか?」などというツッコミをする方もいるかもしれません。
 はっきり言って、たいしたものは見たことも読んだこともありません。菊池秀行あたりのエロティックバイオレンスホラーは読むが。エロゲくらいは見たことあるが。フランス書院文庫の存在も知ってはいるが。スポーツ新聞の連載も希に読んだことはあるが。
 そんな経験値低の分際で、なぜ「『愛ルケ』の性描写ってくだんね」と言い切れるかというと、これだけヲチしててもえろい気分になったことが一度もないんで。不感症の疑惑を抱かれるかもしれませんが、まっとーな小説家の書いた文章でなら、キスシーンだってえろいと思ったことありますし、直裁なシーンが描かれてない映画でもうまい監督が撮ったものなら十分えろく感じます。
 なんちゅーか。「なすやきゅうりが並んでいます」と書かれていても、「そうですか」という情報処理しか起こらない。「おいしそうだなあ」と思わせるにはそれなりの描写が必要なんだけど、「愛ルケ」のえろシーンからは男と女がどったんばったんやってます、という以上のものが読み取れないんです。最近は斜めに眺めてるから余計に(爆)。
 しかも菊爺が突然「男とは」「女というものは」「なのか」「なのか」と脳内演説を始めるので、えろい気分より憤りを喚起されてしまう。「じいちゃん、ナニをまた勘違いな自説を…」と脱力してしまい、えろどころではありません。
 女性のとっての感覚のインターフェースになるはずの冬香が、これまた出来の悪い思考ルーチンのA.I.搭載セクサロイド並みにしか描かれてないんで、「このロボットには男をよいしょするセリフしか登録されてないなあ」と呆れるばかり。新聞連載ものとしては性行為シーンは異様に多いけど、ゲンダイが言うような「過激」さはまるっきり感じない。ああ、なすときゅうりにかぼちゃが加わったのね、くらいのもので。
 元々男性と女性のえろ喚起ポイントはだいぶ違うようだから、これでも男性にとっては十分えろなのかもしれないけど。「しつけの行き届いた」「慎み深い」「人妻」と「不倫」というキーワードだけで、「ををっ」ってよろこべる人もいるやもしれぬが。えろにかける執念に格段の差があるのだろうなあ>男女。

 昨日のゲンダイの記事は「連載時点から話題沸騰だから(どう沸騰してるか考えろ)、単行本の映画化権もドラマ化権もどこもほしがっている『のは間違いない』。映画化の際のヒロイン役を内々でアンケートを採ってみた会社があって、結果は鈴木京香が一番だった。から、京香さん、オファー受けたらどう?役者としてのグレードが上がるよん(上がるのか!?)」という憶測記事だった模様。続きはケータイサイトでね!なんてズルしやがって。(もちろん、日刊ゲンダイそのものでも本文は読めたらしい)
 記事の作り方が女性週刊誌とおんなじやん。
 で、本編はどうやら自分が絞め殺しちゃったらしいヒロインの遺体を前に、ただおたおたするばかりの主人公の姿が延々四日も書かれてます。(まだ続きそう)冬香を殺したはいいが、その後どうしたらいいか、本気で思いついてないんじゃないか?>ナベ爺。直木賞の選考で東野圭吾氏の「白夜行」や横山秀夫氏の「半落ち」を酷評したナベ爺、あえてミステリな展開に足を踏み入れてミステリファンの失笑を買います?
 もちろん、明日突然冬香が何事もなかったかのように起きあがる可能性も捨ててませんとも!