せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

ファンタジーは一つじゃない

 今日のアニメ夜話は「少女革命ウテナ アドレッセンス黙示録」。当時性別を問わず少女マンガ好きに強く指示された、ちょっとくせのある深読みされまくりのこのアニメに、残念ながら私はついていけなかった…。
 だって、華麗な少女マンガ、苦手なんだもんよ。
 評価高いし、見る価値のある作品だとは思ったけど、個人的興味がイマイチわかなくて。惜しいことをしたのかもしれん。
 なので、アニメ夜話の全編解説!みたいな内容についてどうこう言う資格も何もないんだけど。脚本を書いた榎戸さんの話で、ごくあたりまえな指摘に「そうか!」と衝撃を受けた。
 話された内容を細かく憶えてるわけじゃないから以下は私の解釈による要約。「日本の少女マンガに代表される恋愛物語は、日本の一夫一婦制を基本とする恋愛観の上に成立しているから、例えば一夫多妻などの結婚文化、日本とは異なる恋愛の土壌を持つ人たちには全く理解も共感もできないだろう。『何だ、これ?』と不思議に感じる、それも一つの価値観の転換、精神的革命のような衝撃なのではないか?」
 そうだ、そうなんだ。唯一の誰かと巡り会って、結婚して、子供をもうけて「いつまでもしあわせにくらしました」という恋愛モデルは現代日本でこそ多数の支持を(特に女性)受けているけど、世界とか歴史という観点から見ればそれは極めてピンポイントな趣味嗜好でしかないわけで。日本内部で言っても、例えば過去日本で美人と称された引目かぎ鼻の女性というモデルが廃れたように、いずれはこのモデルもうらやましくもなんともない「はあ?」なしろものになるんだろう。
 今現在の日本人がぼんやりと抱いているであろう「恋愛」や男女の「愛情」という概念は万国共通ってわけじゃない。映画や小説という形の娯楽が共有できているから誤解してしまうけど、実際にかの人と恋愛してみれば欧米とだってかなり違ってるはず。

 ウテナ的には、だから現代的恋愛観から導き出される「女性」の有り様に縛られることはないんじゃないの?という問題定義になっていくのかな、と解釈するんだけど。<見てないくせに。そんなもんは普遍ではないんだし。それが王子様になりたい女にとっての「世界を革命する」ってことなのかなあ。
 ウテナには思い入れできなかったけど、私も自分自身が王子様になりたい少女でした。王子なんか待ってられるかっちゅー。しあわせになりたかったら自分でなればよろしい。そのための「世界を革命する」力は欲しかった。

 しかし、「チョイ悪オヤジ」とか「モテ」とかいうキーワードをやたらと見るただいま現在の日本は、期間限定・地域限定にすぎない恋愛モデルが幅をきかせてるなあと思う。あと、そこに乗っていく生き方、というか。女性雑誌を読むと「モテ」を目指すように脅迫されてるような気持ちになるものがあるよ...。
 恋愛、そんなに大事ですか。至上の価値を持ちますか。他にしあわせのモデルはたくさんあるはずなのに。カレもダンナも子どももなくても、十分しあわせになれるはずなのに。
 世界はいまだ革命から遠い。