せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

とはいえ

 ↓で今現在の「日本の」恋愛観とか女性観にそんなに縛られなくてもいいじゃなーい?などと考えていたけど、「社会」を形成していくからには最低限の共通感覚とか倫理観はないとやりにくいから困る。例えばもう結婚しちゃってる人に関しては、独り身の人は一応恋愛対象から外すようにするとか。(もちろん、例外はあるけど)共通認識が成立してないと、人間関係が混乱するし、何かとことがスムーズに進まないしなあ。

 とか考えたのは、もはや惰性でヲチを継続している愛ルケで、主人公が不倫相手をくびり殺した理由を「彼女が夫を拒否したら『出て行け』と言われたと聞き、そんなつらいところに戻るくらいならいっそ死んだ方がいいのではと考えた」なんて脳内演説をしていたからで。
 ふつうの倫理観・恋愛観に照らし合わせたら、本当に好きな女が「もう夫のところには戻りたくない」と言ったら「そんなところに帰らなくても自分のところにいればいい」という対応をしませんかね?絶対的な愛とかヌカすんだったら、ひとときも離れたくないとか思わないんでしょうか。少なくとも、現代日本の恋愛モデル下でのスタンダードな考え方だとそうなると思うんですが。
 いきなり「帰りたくないなら死んだ方がマシかも」という発想にはいかないよなあ。それで首締めて殺しちゃうってのはどういう思考回路なんだか。(アホ主役の言うには、他にも理由はあるのだが)都合よくえっちさせてくれるだけの女と思いこんでいたものがずうずうしく居座りそうになったら、殺意も芽生えるかもしれんが。(それとて正当化されるもんではない)

 ナベ爺は結婚=不純なんて、自分おいしいとこどりな自己チュー恋愛観を披露しておられるから、愛が極まっても「一緒に暮らそう」という発想にいかないのは「なるほどね」なんだけど、それはナベ回路のアウトプットとして納得しているのであって、一般論としては「?」な理屈なんじゃないかと思われ。やりたいときだけ側にいろ、というのは恋愛じゃないだろ。今のとこの日本では。
 眺めてて「はあ?」と思ったことはたくさんあったけど、マスに向けてのエンタメとしての恋愛小説でここまでオリジナリティあふれる主張をされると、どこの読者層にウケる話なんだろうと不思議でたまらない。
 いったいどこの惑星でただいま流行中の恋愛モデルなんだろう?

 この作文、単行本化の折にはどんなオビがつくのやら。
 そして、いったいどんな人たちが「感動しました!」「泣きました!」と言うのやら。