せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

なつかしいな

 「火星ノンストップ」をじりじり読み進めているんですが、三本目がなつかしの「シャンブロウ」でわははって感じです。
 といっても、若い(という表現が自虐的)SFファンは知らない人が多いそうで。収録されてるハヤカワSF文庫の「大宇宙の魔女」が品切れて長いそうだから仕方ないのか。
 私がシャンブロウというか、ノースウエスト・スミスのシリーズを読んだのは、ご多分に漏れずというか表紙が松本零士だったからです(爆)。内容は「宇宙の無法者が出会う怪しげな事件もの」ってことはスペオペ?程度の感覚で手に取ったのでして。なにせ小学校の五年だか六年だかってころで、全裸の松本美女にどきどきしながら書店のレジに本を出したもんです。こういう背伸びちっくな本が読みたい年頃だったのね。
 その結果。読んでも「ワケわからーん」。これが主人公が熱線銃でがんがん敵をぶっ倒すようなアクション物だったら小学生にも何とか理解できたかもしれませんが、(ご存じの方には蛇足でしょうが)ノースウエスト・スミスって本業は無法者・ならず者と書かれているのに、本編では全くアクションしないんですよね…。強いとか裏世界で一目置かれてるとかってのは地の文で触れられてはいるけど、それを裏付けるような具体的な場面はない。じゃあ、いったいナンの話なのって、「シャンブロウ」がすべてのシリーズのベースモデルみたいな仕立てなんだけど、スミスが仕事の合間にどこかの町で不可解な美女に出会って、それがただの美女じゃなくってやっかいな事態に巻き込まれて…ってそんなんばっかやけん!そして、その美女と彼女にまつわる未知の世界について幻惑的な描写が延々と続くという。爽快なアクションを期待してると全く裏切られる。
 幻想的な描写ってある程度の読解力がないと味わえないから、「大宇宙の魔女」は子どもには宝の持ち腐れというか猫に小判そのものでした。もっとも、シャンブロウがスミスに与える攻撃(?)はある意味性的快楽なわけで、そんなものにグっとくる田舎の小学生(しかも女)というのはいかがなものか?だから、年相応だったと言えるでしょう。
 結局当時の私が「シャンブロウ」について憶えていることと言えば、野田大元帥シャンブロウに首ったけで愛車の名前にもしたってことくらいで(それは本編じゃなくて解説の話だ)、私にとって野田大元帥は長らく「シャンブロウ萌えー」のおじさんでした(笑)。
 念願の「シャンブロウ」が訳せてよかったねえ、野田さん。
 とまず最初に思う私もどうよ。