せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

終わりました…

 長いヲチだった…。こんなに長期ヲチし続けることになるとは思わなかった。
 「愛の流刑地」が終わりましたよ。全国のヲチャーのみなさん、お疲れ様でした。ずっと記事を上げ続けていた某blogとか某blogとか、オーナーの方々お疲れ様でした。完走、おめでとう。おめでとう。(最終回の記事はこれから書かれるとこもありますが)
 全く面識はない皆さんですが、そしてどのぐらいいらっしゃるかもわかりませんが、あれをずっと読み続けてきたというだけでみょーな連帯感があります。こんなアホらしい体験はなかなかできるもんじゃないでしょうから。
 完走したからとてこれからの人生にはなんの役にも立たないでしょうが、「あんなこともあったなあ」と笑える思い出が一つ増えたということで。

 ここ一週間の展開はとても丸まるとは思えないものでしたが案の定。まー、昨日のシメで主人公の行きつけのバーのママ(物語中出番ちょー少なし&出るたび電波発言)の手紙でいきなし「この判決は、死にたくなるほど愛した人に快楽を与えた罪に対する罰なのです。刑に服している間は冬香さん(ヒロイン)のことを忘れないでしょう。どうぞ、愛の流刑地でお元気で」(意訳。原文はもっとわけわかめ)と、唐突にタイトル出した時点でナベ爺的には「やった!」だったかもしれません。美しいフィニッシュだ!と。
 ママのご高説もかなりデムパだけど、そもそもなんで行きつけのバーのママごときが主人公とヒロインのプライベートにこんなに詳しいねん?
 頭でっかちで男女の情愛の深さがわからない連中(裁判官とか検事とか)の下した判決だと思えば懲役八年には腹が立つが、ヒロインへの愛に対する罰であれば納得できる。八年間彼女のことを妄想してナニして(原文はもっとひどい表現)刑務所で過ごせば、彼女も自分を許してくれるであろう。「冬香、俺はこの流刑地にいるよ、だってここは狂ったほどお前を愛して、死ぬほど女を快く(よみがな:よく)した男だけに与えられた、愛の流刑地だから」。完。
 刑務所内ではナニできないらしいですよ>ナベ爺。
 ってゆーか、狂うほど愛した女がいた人が、つい数日前に女検事をオカズに(以下略)。
 しみじみと何がなんだかわからない話でした…。
 主人公とヒロインの不倫にまるっきり愛を感じなかった時点で、何を言っても説得力ゼロの話になるのは確約されてましたけどねえ…。自分たちの行動原理に「愛」「愛」とくっつけられるたびに「愛、なかったじゃん。したいだけじゃん」とあきれたし、だからといって特にえろがどうってこともなかったし。
 年を取るって怖いもんじゃのう。話がぼろぼろ以前に文章がめためたなのに、四、五回推敲(ナベ爺blog情報)してて気づかないものなのか。スタッフの皆さんもいるだろうに、誰もチェックしないんだろうか。敢えてしてないんだったらさらに怖い。


 一年強のヲチで得た教訓。年を取ったら、苦言を呈してくれる友人知人を大事にすること。できる限りその人たちの言葉に耳を傾ける度量の広さを持つこと。自由にのびのび生きるのと、わがまま勝手は違うのだとわきまえること。自分に対して謙虚になること。
 不埒なエイジが全然かっこよく見えなくなったよ…。

 上ではマンボウ先生の「私の履歴書」も終了。たいした仕事を成せた人生でもないが、これはこれでよかったとのシメ。マンボウ先生もぼけの風評がありますが、元の人間の格が違うのでしょう。