せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

わたくしの知らないうちに

 よもや私からネットが奪われて情報が入らなくなった時期を見計らったわけじゃあるまいが(ってーか、そんなわけねーだろー?)、私の知らないうちについに「愛の流刑地」の単行本が発売されておりました!
 のみならず、とん挫したかと思っていた映画も主役のキャストが決まり本稼働。なんてこったい!幻冬舎め、単行本を売るために映画の発表と合わせてきたな。…そのくらいの演出は、当然するだろうけど。
 しかし、なぜ菊爺がトヨエツなんだ?50代半ばじゃなかったのか?明け方にトイレに行きたがるにはトヨエツは若すぎるのでは。(役所広司、よく降りた。あなたにはもっとやるべき仕事があると思われ)二人の愛の真相が裁判で探られていくってことは、拘置所でアレもするのか?アレも。空気ヨメが寺島しのぶって、空気ヨメのままでは映像化はきびしいだろうから、なんとか人間の厚みを出したいと思っての起用かもしれないけど、おぢさんがわくわくぬぎぬぎシーンを見たくなる役者さんじゃないよなー。
 監督の談話がいっそヤケのように読めるのは、私の気のせいでしょうか。こんなひでー原作押しつけやがって。引き受ける脚本家もいないから、オレ、自分でシナリオ書く羽目になったやんけ。四畳半ではないものの、部屋数や広さが自在に変わる四次元マンションなんかどーやって撮るんだよ?みたいな。

 yoshiの本がバカ売れする世の中だから、この「同人小説に目覚めたお爺さんが自分では衝撃の問題作のつもりで己の性妄想をぶちまけただけの作文を露出、周囲はあぜんぼーぜん」みたいな作文(小説というには文章のレベルがつらく)もそこそこ売れはするんだろうなあ。今でも一応「失楽園」の作者は記憶されてるみたいだから。
 マスコミというかメディアも提灯持たなきゃいけないのはわからんでもないけど、『過激な性描写などが、OLやサラリーマンの間で“愛ルケ現象”を呼んだ。』って売り方はやめてほしいのよ…。単に笑え過ぎる時代錯誤が話題になっただけなんだから。それに、こんな情緒も深みもない文章でひひんとかどどんとかって書いてるのが過激な性描写って言えるんでしょうか。「掲載紙のわりに」をつけて、かろうじてなんとかってレベルのような。
 単行本、相変わらず嘱託殺人の方向のままなのかしら。二時間ドラマもびっくり、脱力の法定シーンはまともになってる、…はずもないか。もちろん、不愉快ちゃんは「ごわっ」て音立てて死ぬのよね。そこ変えたら、「愛ルケ」じゃないから。
 と、気にはなるとこがなくはないけど、生理的嫌悪感で単行本を手に取るのもヤだしなあ。