せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

まるごと「あしたのジョー」につき合う

 NHKはどこに行くんだろう…。と思わせられるここ数年のBSのラインナップですが(ヲタシフトが強まる一方で、私にはありがたい傾向なんだが)、今年度の最終週には「あしたのジョー」の虫プロ版アニメから1/3ばかしを集中放送という無謀を。団塊狙い?
 私は「あしたのジョー」には出碕演出流れで「2」から入ったクチなので、マンガ連載当時の盛り上がりについては伝説的に知るだけです。たぶんあの時代、すでにあしたのジョー的生き方は同世代の共感を得にくくなりつつあったんじゃないかって気がするのですが(バブルはそれほど遠くなかったし)、私の頭がアナクロだったのか、結構入れ込んで見てました>「あしたのジョー2」。カーロス・リベラがなんとなく好きで、パンチドランカーになったあと変わり果てた姿で現れたときには涙出ました。
 あの当時の少年マンガは概ねそうでしたが、「あしたのジョー」も作中女性度数が低くて、魅力的な人間関係はやっぱ男と男の友情というか同志意識というか、同じゴールを見ている者の共感みたいなものに尽きてて、それより他に人の心を打つ関わり合いがあろうか! って感じ。そしてさらに大事なのは、己一人が見つめる何かしら精神的な「高きもの」。「あしたのジョー」で言うなら「真っ白に燃え尽きて、燃えかすなんか残りゃしない」完全燃焼なファイト。それを聞いた紀ちゃんが「私、ついていけそうもない…」とジョーへの思いを断ち切って西の元へと嫁いでいったのは、私にとって強烈な刷り込みの一つです。いい男は女との日常じゃないものを見ているもんなんです。私が男女の恋愛の価値を二の次に考えてしまうのは、この時代の少年マンガの洗礼のせいに違いなく。
 それでも「2」は原作よりも時代が下った影響もあってか、ジョーは心持ち白木葉子にやさしいですが。
 女子的興味でものを言うと、仮にあのホセ・メンドーサ戦の後ジョーが生きていたとして、奇跡的にパンチドランカーで廃人化してなかったとして、それで白木葉子と、例えばボクシングジムを開いて後進の育成をしちゃうような後日談が思い浮かぶかというともそんなもんは欠片も想像できないし、そんなもんは「あしたのジョー」じゃねーだろー? って気がします。やっぱりあの物語にはあの結末しかなく、その後のことを考えるなんて無粋というものでしょう。

 「名作平積み大作戦」で夢枕漠さんが「妖星伝」のプレゼンをしたとき、物語は永遠に終らない方がいい、コンパクトに結末がつくよりも人の心に残り続ける、みたいなことを言っていたけど、「あしたのジョー」に関しては、あの結末にたどり着いたからこそ今でも語られる作品足りえたと思います。これ以外の結末はあり得ない。
 それゆえ、後世の共感は得にくくなるかもしれないけど、長く読み継がれることだけが作品の価値じゃないなんて思ってしまう私です。