せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

「敵は海賊 正義の眼」、読了

敵は海賊・正義の眼

 「敵は海賊」シリーズ十年ぶりの新刊だそうですが、私はまだ未読の積ん読がある。はず。なのに、最新刊から読んでしまいました。
 私はあまりいい神林読者ではなく、メインとも言える重めの長編を真当に読んだことがないという…。「膚の下」が連載しているSFマガジンが家にあるというのに数回ちゃちゃっと流し読みしただけの不良読者です。そっちも読むべきじゃないかと思い続けてもう十年以上経つのに。
 長年の宿題は置いておくとして。かつては神林作品としてはかなりライトめであった、というか、作者の傾向としては未だライト系ではある「敵は海賊」シリーズだけど、でもこれはライトノベルとは言わないんだろうなあ。なんたって、萌え対象になる若い娘が出てこない。というか、女性はリジー・レジナという学者な人が一人だけで、どう考えても言動は萌え系じゃない。ヨウ冥はラヴだそうだけど。(めずらしい! シリーズ初? ほんとに男としてラヴだったのか?)
 概念を頭の中でいじくる題材が多い神林作品ですが、今回は正義をなすということについて、なのかな。個人的にはなかなか興味深く読みました。正義って立ち位置でぶれるような気がするから、使いにくい言葉じゃあります。正義をなす、というのと、正義を装って私欲を満たす(殺戮願望とか権力を見せつけるとか)というのも違うけど、現れる現象としては同じだったりするし、それで結果世の中がいい方に向かえば一般の人は気にしないかもしれない。でも、それでほんとにいいのかな、とか思ったり。むずかしい。
 こういう話をラテルとアプロとラジェンドラとセレスタンがどーしよーもない無意味なやりとりをしている中で書くあたりが神林節。しかし、ラテルが一人でまぢめを背負う率が巻を追うごとに上がっていて、さすがにあわれではある。アプロが相棒という時点で運命は決定されていたのだけど、脱線するキャラばかりが回りに増えて補正役が一人というのはたいへんだ。しかし、振り回されてどっと疲労困ぱいのラテルだけど、私は好きですよ。なんとなく、ラテルが好きでこのシリーズを読んでるとこがあります。
 こう間延びしたペースで読んでいると、シリーズの基本設定とかけろりと忘れていて、年とはいえ困ったもんです。アプロの精神凍結という能力とか、言葉が出てきて「おお、そうだった」なんて思ってますからねえ。