せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

「時砂の王」、読了

時砂の王 (ハヤカワ文庫 JA オ 6-7)

 書評の評判も良かったので、読んでみました。なんとなく小川一水には安心感もあったので。
 一ページめくって思ったことは。「字がでかい」。ハヤカワのくせに字がでかいよ! 紙の上にみっしり字が詰まってるほうが満足感高くなる質なのでそれだけでがっかりしてしまうんですが(内容は全く関係ないってのに)、あと数年もすればでかさに感謝するようになるんでしょうか。(老眼の心配をしなくちゃならないもんで)

 で、肝心の内容ですがおもしろかったです。時間もので歴史改変ものってことになるのかな。タイムパラドックス的にどうか? というツッコミもあるかもしれませんが、これは歴史いじってナンボという戦いなので。原因取っ払うという手があるようでないような、ちょっとやっかいな発端が何というか…。
 昔のSFの作法だとその辺の長い長い(というのか、遡ってるんで長くなる一方だ)戦いの理屈とか戦略とかを説明するほうにページを割くとこでしょうが、この話はその辺にあまりこだわりません。わかる人にだけわかればよいという考え方なのかあっさりめの描写です。代わりに、主人公の心情描写がちょっと多めです。このあたりが今どきのキャラシフトな物語の傾向に添ってると言えばそうですが、かといってラノベとかみたいにキャラばっかり! にもなっておらず、程よい塩梅かと。SF得意で理屈わかる人は描写の間を補完しつつ読み、理屈苦手な人はキャラに感情移入しながら読み、とどちらのタイプでも取っつきやすい仕上がりじゃないかと思います。オチもなかなか感動的、かつ時間もののポイント押さえてるなって感じ。
 しかし、遡る時間の中で苦しい戦いを続けてきた王の哀愁もけして存在感弱くはないのに、最後にはヒロイン卑弥呼の意志の強さが人類の行く末を左右してしまうあたり、物語を決するのは女という昨今の流れは変えられんのだなー、と切なくなってしまいます。男が物語を担える時代はもう来ないのか…。
 十万年と二千年前からあーいーしーてーるー。<そういう話じゃないんだけど、なぜかこのフレーズが頭の中でぐるぐる。

 ネタ的にはもっと長い話に仕立てることもできるだろうに、惜しげもなくこの長さにまとめてしまってる潔さをもったいないと取るか天晴と取るか、読み手によって評価が変わりそうです。しかし、「時砂の王」がこの出来なら、「天涯の砦」も早く読みたいのう。<文庫落ち待ちというずるさ。
天涯の砦 (ハヤカワSFシリーズ・Jコレクション)