せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

わたくしが性犯罪の裁判員裁判に出ることになったならば

 この夏は裁判員裁判が始まって、制度適用最初となった裁判前後はニュースというニュースがこればっかり状態で、そうでなかったら一生知ることがなかったかもしれない事件の妙なとこまで詳細に知ることになったのだった。よほど事件性が高いものならともかく、加害者の人が今後どうなるかによっては、広く細々したことが知れ渡っちゃうのはどうなんだかなあ…。どんな世間を騒がす大事件でも今時はあっという間に忘れ去られちゃうから大丈夫なんだろうか。
 などと思っているうちに報道は次第に沈静化していった、なあと思っていたら、またまた声高になった、のは、どうも初めて性犯罪が取り上げられることになったかららしく。
 女性としては、性犯罪事件なんかが興味本位で(この異常な取り上げられっぷりは報道の義務とか使命とかというより、興味が先立ってるよーな気がしてならんのですが)注目されるのはやだなあとしか言いようがないです。被害者の気持ちを考えるとそっとしてほしいし、個人を特定されかねないから事件の内容を細かく知らされるのもどうかという気が。微に入り細にわたってお知らせしてくれる今般の報道の過熱っぷりならなおのこと。なので、一連の報道を目にするのはあまり心地よいものではなく、このタイプの事件のデリケートさを改めて考えてしまいました。

 さて、今の私はもしかしたら裁判員として呼ぶかもしれないよ、という連絡もない、ただの人ですが、もし将来呼ばれることになりそれが性犯罪の裁判だったならば、複数人でやることやっちゃいました、という事件だったらほぼ求刑された最高に重い刑を押すことでしょう。審議の内容に関わらず。だって、どう考えたって許せないでしょう、女性なら。まして一度ならず二度三度という加害者だったら、検討の余地なんかないってもんです。そう考える女性はけして少数じゃないんじゃないでしょうか。
 というような人を裁判員に召喚していいものか? と我ながら疑問に思いますよ。集めて意見聞く意味ないじゃん。