せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

あいのるけいち

 今時信じられないセンスのタイトルです。「愛の流刑地」。
 高村薫さんともめた日経新聞の次回新聞小説は、「失楽園」で爆発的ヒットを放った渡辺淳一先生が、またもや朝からおじさんのえろい妄想を満足させる「精神と肉体の融合した純愛をテーマにした大人の恋愛小説」だとか。<連載にあたっての作者の言葉を意訳。
 いやはや。
 どーもこの先生、最近のセカチュー「冬ソナ」ブームがお気に召していないのだなとは思っていたが、本気で本業でケンカ売ってくるとは。肉体の伴わない、エロスの欠けた、性愛のない恋愛など本物の純愛ではないなどと高尚そうにおっしゃるんだけど、そのテの著作に出てくる女性にああもリアリティがないんじゃあ、ひとかけらの説得力もありゃしません。
 わたくし、「失楽園」連載当時日経読者だったんで、不本意ながら目玉を汚す文面を読む羽目になったんですが、主人公二人に気持ちを通わせるための精神的な葛藤というものがまるっきり感じられませんでした。しかも高まる二人の性愛シーンですら、お互いいろいろお楽しみのための工夫をするかってーと、変わるのは男性好みのシチュエーションだけ。相手の女性が「マンネリね」と苦情を言う迫真性があるわけでもなし。それで性愛の極みを求める男女の交流だなんて言えるんでしょうか?回数とバリエーションがあればいいの?男、努力しなさすぎ。女、都合よすぎ。
 会社勤めの苦悩や家族との軋轢はあったけど、あくまで社会的なつながりの描写とリアリティであって、その辺は読者層の共感度を高めるための配慮なのかな、と思ったり。もしくは、自分の「わかる」範囲だけはリアル?
 いずれにしても、男のことはわかってるのかもしれんが、女のことはまるっきりわかってないとしか思えんのです。私は。それなのに、恋愛のエキスパートみたいな発言ができるのがようわからん。
 自分の性にとって心地いい妄想を楽しみたいのは女も同じだからほっといてんか、と言いたいですわ。