せまい脳内行ったり来たり/放浪編

もはや主にTwitterのまとめだったのに、2018年9月で途絶えている…。

世界は分けてもわからない」、読了

世界は分けてもわからない (講談社現代新書)

 古本屋で買った「深海のYrr」の中・下巻をどうしよう…と悩んでいる間に読む。福岡先生の大ヒット新書「生物と無生物のあいだ」は未読なので、初福岡。
 なせいか、最初、読み出したときはちょっと当惑した。いわゆる科学系新書とは構成というか文体というかが違う。なんか、エッセイっぽいんですけど…。
 と思ったら、元になった雑誌連載があった模様。科学啓蒙本としての書き下ろしじゃないからこうなのか、元からこういうアプローチをする方なのか、何分初読みの著作なのでよくわかりません。

 内容は、まさにタイトル通り。森羅万象、人間の周囲にある全ては部分だけ見たって本質はわからない。そもそも分けようがない。だって、区切りなんてないんだから。
 でも、人の脳は物を理解するために区切れないものを区切り、止まっていないものを止めて、なんとか「理解」できる形にしようとする。ヒトが認識できる形に置き換えようとする。それが、見たいものしか見られないという事態を引き起こす。私たちはわかりたいと切望する何かをわかりたいが故に、本来分けようのないものを無理矢理分けて結局実態から遠ざかっているのだなー。
 しかも、ようやく発見したものをさらに突き詰めて研究していくと、一つの事態が一つの原因から作り出されているわけではなかったりして、調べれば調べるほどピントがぼやけて混沌としていくというのがなんだかなあ。人間の認識力というか、脳の世界の把握の仕方って、世界の理解には向かないところがたくさんある模様。
 でも、知りたい、わかりたい。これって片思いみたいよね。きっと世界の真の姿は、人間には永遠に手が届かないものなんでしょう。

 って、科学系の本を読んだ感想としてはあまりに叙情的というか、感覚的というか、科学とはほど遠いぼんやりぶりですまんという感じ。でも、専門分野のお話はとても理解できたとは言い難く、なので不用意なことは言えません。文章もがちがち科学系というより、最初に書いたようにエッセイっぽいから、こういう読み方でも許しておくれ…。
 門外漢でもおもしろいです。はっとさせられる。そして、私たちには結局「分ける」という世界へのアプローチ方法しかなく、蟷螂の斧で世界に挑んでいくしかない。それはむなしい戦いかもしれないけど、でも人間はずっと斧を手放さないと思うのです。


深海のYrr 〈上〉  (ハヤカワ文庫 NV シ 25-1)

 ちなみに「深海のYrr」の残り二冊はamazon出店のイーブックオフで買いました。二冊で送料込み682円だったっけ。やすっ。本来の価格一冊分以下です。(↑からamazonに行くと、中古価格1円からって出るはず)
 こんなの新刊の隣りに並べてあったら、この不況のご時世、そりゃーそっちに手が伸びますって。
 「深海のYrr」は、なんちゅーか。ちょーおもしろいというわけではないけど(<えらそう)、「ハイドゥナン」よりは好みかなあ…。「ハイドゥナン」はどこかスビリチュアル系みたいなところがどうしても取っつき悪くて。通勤時間だけで読んでたら中下巻で年内持ちそうですよ。